第1章 『渋谷で最も歴史のある映画館』~ユーロスペース~

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<映画みちゃお!>で新たに始まったコラム『映画関係者に会っちゃお!』。
 第2弾は、前回に引き続き~劇場支配人編~ということで、都内屈指のミニシアター、ユーロスペースの支配人にお話を伺いました。今回も、映画にまつわるあれこれを聞いちゃってます!(全2回)

ユーロスペース

ユーロスペース支配人 北條誠人(ほうじょう まさと)さん

―まずは映画館の歴史からお聞かせください。

北條誠人さん:代表である堀越謙三が、1977年に『欧日協会ドイツ語ゼミナール』の一部門としてシネクラブを発足。戦後ドイツ映画をいち早く日本で自主上映したり、ポーランド映画などを紹介していました。その都度ホールや公会堂などを借りて上映していましたが、利便性を考え82年5月に渋谷区桜丘町(JR渋谷駅南口)のビルに多目的ホール<ユーロスペース>をオープンしました。当初は映画の上映に加え講演会やコンサートなども行っていました。しばらくして堀越が協会から独立し、常設映画館として再スタートしたのが85年でした。その頃、私が入社しています。ミニシアターブームという追い風もあり、94年には同フロアのスペースを拡張して<ユーロスペース2>を開館し、2スクリーンの映画館となりました。しかし、お客さんのニーズの変化やキャパの問題もあり、2006年1月に移転し、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)さんや名画座のシネマヴェーラ渋谷とともに現在のビル(渋谷区円山町)で開館しました。2017年は創業35周年ということになります。

ユーロスペース

渋谷区円山町 KINOHAUSビル B1Fには映画美学校、1Fにはライブハウス<LOFT9>がある

―これまでに上映した中で思い出深い作品はなんでしょうか。

北條誠人さん:やはり1987年公開の「ゆきゆきて、神軍」でしょうか。なにせ公開時の映画館は都内や周辺含めても当館だけでしたから、連日超満員でした。1館だけで7万人もの動員となり、いまだに破られない断トツの記録です。89年の「紅いコーリャン」もかなりヒットしました。80年代後半でも、まだヨーロッパ映画は珍しくてニーズがありましたが、その頃から映画館側に“旬なものをいち早く公開したい” という思いが生まれ、お客さんもそれを求め始めていたのではないでしょうか。ヨーロッパ以外の邦画やアジアの話題作などの公開が増えました。
 ここ最近の作品ですと「FAKE」と「野火」のヒットが印象的でした。「FAKE」は全くの予想外。1日千人。こんなに入ると思いませんでした。映画好きというより、業界関係者のようなお客さんが目立った気がします。「野火」は、塚本晋也監督いわく客層が都内で一番若かったそうです。難しいテーマの作品ですが、幅広い層に受け入れられたのは嬉しかったです。

―今年上映した作品で、<がっかり>と<びっくり>を教えてください。

北條誠人さん:答えにくいですね(笑)
 「築地ワンダーランド」はタイミングを外しましたね。市場が計画通り豊洲に移転していれば、惜別上映という感じでもっと盛り上がったと思うのですが…。
 映画祭で見て面白かったので上映を決めた「ケンとカズ」は健闘しました。若手監督ですがしっかり作っていて、動員も予想を上回りました。今後が楽しみな監督です。

ユーロスペース

落ち着いた雰囲気のロビー

―上映作品を選ぶ基準はなんでしょうか。

北條誠人さん:時代の空気というか流れを読むのが大事という考えもありますが、映画の仕事というのは、作品をちゃんと説明できないとダメだと思うんです。なんとなく流行りそうではなく、こういう内容の作品だから、こういう人に観て欲しいと言えないと。そういう意味でも、映像表現が強いか強くないかを重視します。ストーリーがよくわからなくても、画に惹かれて2~3時間平気で見てしまうような作品を選ぶこともあります。「神々のたそがれ」がそうでした。「ザ・トライブ」もセリフはありませんが、画の力で魅入ってしまいました。
 ただ、観て欲しい作品がビジネスとしてミニシアター向けなのかシネコンなのか、といったことも考慮しなければいけません。以前のミニシアターは、1本の作品を半年間くらい上映し続けるのも珍しくなかったのです。お客さんがずっと待っていてくれたんですね。でも今は、そこまで待ってでも観たいというモチベーションが少なくなったと思います。もはや都内1館だけで上映するというのは成立しにくいんです。ほんとに作品選びは難しくなりました。

第2章 『ミニシアターの存在意義』へ続く

【取材日:2016年12月13日 於 ユーロスペース 】

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映画みちゃお!取材担当

ライター:映画みちゃお!取材担当